7.原爆の子の像
資料館から原爆死没者慰霊碑、平和の灯を経て原爆ドームを望む平和公園の中心ラインに接して原爆の子の像がある。
原爆ドーム前で電車を降り、ドームを見てから元安橋を渡って公園に入るとすぐ右である。
この原爆の子の像は、慰霊碑や記念碑やモニュメントがたくさんある平和記念公園の中でも、おそらく訪れる人が最も多いスポットであろう。
修学旅行シーズンになると、ひっきりなしに児童生徒が訪れて、この前でセレモニーを行っている。
原爆の子の像が建てられるきっかけになったのは、佐々木禎子さんである。
2歳の時に被爆した禎子さんは、リレーの選手をつとめるほどの元気な子だったが、10年後に突然発病した。
1955年1月9日に発病、2月に亜急性リンパ性白血病と診断されて日赤病院に入院する。
見舞いにもらった千羽鶴に触発され、禎子さんは鶴を折り続けたが、その願いもむなしく、その年の10月25日に最後の日を迎えた。
この年、広島市内で14人の子どもが原爆症で亡くなっている。
クラスメートは、禎子さんの記念文集をつくり、それがきっかけで在籍した幟町中から市内の学校に取り組みが広まり、原爆症で亡くなった子どもたちのための「原爆の子の像」をつくる運動が始まる。
これが、きっかけとなった文集である。
広島の小・中・高生が街頭に立ち、全国にもよびかけて、募金が集められた。
子どもたちの活動は実を結び、全国3000校から寄せられた450万円と各方面の協力で像は完成した。
1958年5月5日、除幕式が行われた。
少女が鶴をかざしている像の下に設置された御影石の碑文には、こう刻まれている。
これはぼくらの叫びです。
これはわたしたちの祈りです。
世界に平和をきずくための。
被害面を伝えるだけでなく、子どもたちの手で平和への願いをかたちに表したこの原爆の子の像から学ぶものは多い。